中山道 六十九次

2010年4月4日(日) 6日目

<写真1 水木の部屋>
・・・ 横川、東京屋から坂本宿へ 2.4km・・・

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 4月4日(日)7:00起床。昨夜は宿に置いてあった中山道歩きの記録を読んだ。ネットから情報を得ることも多いが、自分の記録を紙にまとめられた読み物も参考となる。朝食後、水木の部屋<写真1>を出て階段を下り、7:53東京屋を出発。坂本宿へ<写真2>向かう旧中山道の目前には山が迫っていた。

 7:57碓氷関所跡<写真3>に到着。東側の石段は通り過ぎてしまったので西側の石段を上り史蹟を見学した。旧中山道は国道と一旦合流するが、すぐに分岐し8:02薬師坂へ向かった。薬師坂は歩行者専用道路である。松井田西中学校の横を通り、国道と再合流した。

 旧中山道の正面には刎石山(はねいしやま)<写真4>が見え、8:13上信越道を越えた。上信越道は頭上高いところを通っているが、このあたりの旧中山道は道の傾斜が大きく、数100mも歩くと、上信越道を高さを超えた。脇本陣の石垣に座りデジカメのメモリーカードとバッテリーを交換したあと、8:30出発した。

<写真2 坂本宿へ>

<写真3 碓氷関所跡>

<写真4 刎石山>
・・・ 坂本宿から軽井沢宿へ 9.6km 計12.0km・・・

    ★坂本宿→覗き★

 8:39旧中山道は国道18号線から左へ分岐<写真5>した。道は林の中、倒木を避けたりしながら続いていた。石段と急な斜面を上ると8:45青い屋根の旧中山道登り口バス停<写真6>が見えた。白いガードレールの切れ目から国道を横断しバス停の東屋に到着した。

 8:49東屋を出発した。旧中山道は木段などもあり、右手は崖<写真7>となっていた。しばらく急な坂が続いたが、登り坂は次第に緩くなった。

 9:11柱状節理<写真8>の前に到着した。規模は大きくないが、”柱状節理は火成岩が冷却・固結したときに亀裂が生じ四角や六角の柱状に割れたものである”と案内板があった。柱状節理の地点を出発、山道は刎石坂と案内され、右手には大日尊や南無阿弥陀仏の石碑があった。

<写真5 国道から左へ分岐>

<写真6 登り口バス停>

<写真8 柱状節理>

<写真7 右手は崖>

<写真9 覗(のぞき)>
   ★覗き→刎石山★

 9:17覗(のぞき)<写真9>に到着した。眼下には歩いてきた中山道が見えた。旧街道として、道幅が広くしっかりした道で、斜めに交差する上信越道と比べて見劣るものではなかった。覗のすぐ先に、風穴<写真10>があった。これは”刎石溶岩のさけめから水蒸気で湿った風が吹き出している穴”と案内されていた。

 風穴の先の道には倒木があった。迂回するため右側を見ると、弘法の井戸<写真11>であった。見学したあと旧中山道に戻り、9:30刎石茶屋跡(四軒茶屋跡)に到着した。あたりは広場になっていて、茶屋跡らしい石垣などもあった。

 刎石山山頂は茶屋跡のもう少し先にあるようなので、ヤブを分け9:36刎石山山頂付近<写真12>まで登ったが、山頂を示すものは特に見当たらず、林の向こうに霧積湖が見えた。

<写真10 風穴>

<写真11 弘法の井戸>

<写真12 刎石山山頂付近>
   ★刎石山→釜場★

 刎石山山頂付近から旧中山道へ戻ると、9:42道の左手に東屋<写真13>があった。碓氷坂の関所跡とのことである。道沿いの案内板には坂本宿2.5km、熊野神社6.4kmとあった。

 歩いていると後ろから足跡が聞こえてきて青いトレーニングウェアの方が走り去られた。大学生(陸上部)?のようである。9:58掘り切り<写真14>を通過した。掘り切りは、豊臣秀吉の小田原城攻めで北陸・信州軍を松井田城主大導寺駿河守が防戦しようとした場所で、道が狭く両側が掘りきられているとの案内板があった。

 10:10座頭ころがし(釜場-かんば-)<写真15>を通過した。急な坂道で岩や小石がごろごろしているとあったが、落ち葉に覆われたふかふかの山坂道であった。

<写真13 東屋>

<写真14 掘り切り>

<写真16 廃車>

<写真15 座頭ころがし>

<写真17 妙義山の奇峰>
   ★釜場→山中★

 10:12廃車<写真16>があった。マークUグランデである。ナンバープレートは外されていたが、それほど古い車ではない。とても車が通れる道幅はなく不思議であった。廃車のところで立ち止まっていると後ろからトレーニンブウェア姿の方が一人ずつ二人、早足で去られた。

 10:21栗ヶ原を通過。明治天皇御巡幸道路と中山道が別れる場所で「見回り方屯所」があったようで交番のはじまりとのことである。木杭を過ぎてさらに歩くと、妙義山の奇峰<写真17>が見えた。

 10:30遮る枝<写真18>があった。足元には残雪がシャーベット状に残っていた。10:46山中学校跡<写真19>を通過。道の右手にプレハブの建物があったが、昔の学校とは違うようである。

<写真18 遮る枝>

<写真19 山中学校跡>

<写真20 バス>
   ★山中→熊野神社★

 山中部落跡のすぐ先に灰水色の車が置き去りにされていた。こちらの車はマークUより損傷がひどく古い型式であった。10:54山中坂を上ると今度はバス<写真20>があった。窓ガラスはなく車体は赤く錆びていた。

 11:00木陰となった道に残雪<写真21>が多く見られた。少しずつ標高が上がっているようだ。向こうから三人の方が歩いて来られた。後ろから抜き去った方々のようであった。11:10陣場ヶ原<写真22>を通過した。(ここから真っ直ぐの道を歩いてしまったが、旧中山道は斜め左に下る道のようだった。)ここから先、歩いた道は和宮道のようで安政遠足との看板が多数あった。

 しばらく和宮道を歩くと、残雪<写真23>が多くなり林道と合流した。合流した先の左手には、また廃車(カリーナED)が置き去りにされていた。

<写真21 残雪>

<写真22 陣場ヶ原>

<写真24 上州路碓氷峠越の看板>

<写真23 残雪>

<写真25 熊野神社>
   ★碓氷峠・熊野神社にて★

 林道の残雪は次第に多くなり、場所によって雪は道幅一杯に残っていた。一週間前の週末はかなり降ったそうである。上州路碓氷峠越の看板<写真24>があり、11:51旧中山道と合流し、(このとき自分が歩いてきた道が旧中山道ではなかったことに気が付いた。)11:54舗装された広い道に出た。壁に赤い浅間山の溶岩を用いたトイレがあり借りた。

 11:57峠頂上の熊野神社<写真25>の鳥居前に到着し、石段を上がり参拝した。随神門をくぐったところに三つの社があり、その中央正面が本宮、右側は群馬県の新宮、左側は長野県の那智宮<写真26>である。

 熊野神社を出発し軽井沢で下ろうとしたが道がいくつかあるので、道を尋ねがてら12:08碓氷山荘<写真27>に入った。席に着き、かけ・力餅セットを注文し昼食とした。力餅はくるみ味で9粒あった。

<写真26 新宮・本宮・那智宮>

<写真27 碓氷山荘>

<写真28 教えて頂いた道>
   ★熊野神社→軽井沢宿★

 12:56碓氷山荘を出発し、教えて頂いた道<写真28>を下った。車道で出たら、右だったのであろうが、左が下りだったので、車道を左へ下ってしまった。途中、歩道橋があり山中の散策路を軽井沢へ下れそうな案内があったが、怪しげな道だったので、車道<写真29>に引き返し車道を下った。

 13:24ヘアピンに車道を折れ曲がり、今道沢の別荘地<写真30>を下った。森の中、別荘は点々と建っていた。13:39矢ヶ崎川の大宮橋を渡り、芭蕉句碑の前に到着した。

 芭蕉句碑前の車道で左折し旧中山道と合流、煉瓦の道<写真31>となってから人の姿は急に増えた。洋館の軽井沢観光会館<写真32>や郵便局を過ぎ、夢蔵人という店で笑い猫のおみやげを購入した。

<写真29 車道>

<写真30 別荘地>

<写真32 軽井沢観光会館>

<写真31 煉瓦の道>

<写真33 軽井沢東部小学校>
・・・ 軽井沢宿から沓掛宿へ 4.5km 計16.5km・・・

  ★上豊岡→板鼻★

 13:59旧軽と三笠通りの軽井沢変則交差点を過ぎると人の姿は少なくなった。14:18軽井沢東部小学校<写真33>前を通過。道路と学校との間に塀などはなく、その境は土手となっていた。

 落葉松の並木道があった。軽井沢らしい光景である。14:37離山信号で国道18号線と合流<写真34>したが、14:45軽井沢中学前交差点で国道を横断し、しなの鉄道の踏切も渡った。中山道は、また静かな旧街道となった。住宅街の中を歩き、湯川の前沢橋に出ると、正面に浅間山が見えた。

 道なり歩き、しなの鉄道の線路をくぐり国道18号線と合流。15:05沓掛宿<写真35>に到着した。中軽井沢交差点を右へ向かうと鬼押出し、左へ向かうと中軽井沢駅である。

<写真34 合流>

<写真35 沓掛宿>

<写真36 くねくね道>
・・・ 沓掛宿から追分宿へ 4.2km 計20.7km ・・・

 15:12国道18号線から旧中山道は左へ分岐し、くねくね道<写真36>となった。道沿いには新聞販売店があり、車が15台ほど停まっていた。側溝の道<写真37>を歩いた。浅間山山麓なので湧き水が豊富なようだ。15:31国道18号線に再合流しバイパス進入路を過ぎた。

 15:45遠近宮<写真38>で休憩し手持ちのパンを食べた。トイレもあった。16:02遠近宮を出発し、国道18号線に合流した。軽井沢追分の歩道橋を渡り、軽井沢西部小学校前に下り、16:18標高1003m地点<写真39>を通過した。

 16:21国道18号線から右に分岐し、浅間神社に立ち寄った。ここには芭蕉句碑があった。浅間神社を出発し歩くと、バス停があり、その脇に木箱があり、中に本が置かれていた。隣は堀辰雄文学記念館である。16:38すぐ先の追分宿高札場<写真40>に到着した。

<写真37 側溝の道>

<写真38 遠近宮>

<写真40 追分宿高札場>

<写真39 標高1003m>

<写真41 分岐>
・・・ 追分宿から御代田駅へ 3.5km 計24.2km 累計163.3km・・・

 追分宿高札場を出発し、16:43国道18号線と合流した。国道を横断し、左へ分岐<写真41>し、旧中山道に入った。人も車も少ない。17:02御代田町に入った。右後方に浅間山があるが、山頂部は雲に隠れていた。

 道に沿ってゴルフ練習場など大きな区画の建物があるが、家や商店などは見かけない。ハッピードリンクショップという自販機コーナーで自転車の中学生が100円の缶ジュースを購入した。17:13中部北陸自然歩道の道標<写真42>があった。表示によると追分宿からここまで2.2kmで35分を要した。

 陽が落ちてきて、西の林立がシルエットになっていた。道沿いに御代田の一里塚入口があったので、右折しそこへ向かった。ゆるい坂を上り、17:33御代田一里塚<写真43>に到着。案内板に”径13m、周囲40m、高さ5mを測る”とあった。

<写真42 道標>

<写真43 御代田一里塚>

<写真44 地下歩道>
   ★帰路★

 御代田一里塚を出発し、旧中山道に戻った。17:37しなの鉄道の線路を地下歩道<写真44>でくぐった。地下歩道を出て栄町交差点で旧中山道と分かれて西へ向かい17:41しなの鉄道御代田駅に到着した。

 駅の券売機で篠ノ井駅までの切符を購入し、御代田駅の下りホーム<写真45>で待ち、17:48しなの鉄道普通電車に乗車した。17:57小諸駅に到着し、18:04発長野行き普通電車<写真46>に乗り換えた。暮れゆく中、車窓<写真47>から中信高原の山々が見えた。18:53篠ノ井駅に到着。改札を出て江戸屋という店でぽんぽこラーメンを食べた。

 JR篠ノ井駅で名古屋経由で京都市内までの乗り継ぎ自由席特急券と新幹線自由席券を購入し、篠ノ井線上りホーム<写真48>で19:48発特急しなの26号を待った。しなの26号は定刻の22:33名古屋駅に到着。新幹線ホームへ向かい、22:43発のぞみ267号に乗車。京都駅には23:19到着。奈良線ホームに向かい23:34発普通電車に乗車し、23:58宇治駅に到着。日付が変わってようやく帰宅した。

    しなの鉄道御代田駅

<写真45 御代田駅の下りホーム>

<写真46 長野行き普通電車>

<写真48 篠ノ井線上りホーム>

<写真47 車窓>
2010.4.4(日)の会計 金額
東京屋一泊二食 9450円
碓氷山荘、かけそばだんごセット 880円
缶コーヒー 100円
しなの鉄道 御代田→篠ノ井 1100円
JR篠ノ井→京都市内、乗り継ぎ自由席特急券、新幹線自由席券 9860円
JR桃山→JR宇治 190円
21580円
累計 119540円
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2010年6月19日 記


           
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