奄美大島滞在記

2009年7月25日(土) 滞在6日目  −奄美市名瀬、帰路−

<写真1 朝を迎える>
 7月25日(土)6日目。近畿日本ツーリストの皆既日食ツアーで参加した奄美大島もいよいよ最終日となった。ツアーといっても大阪伊丹空港と奄美空港の飛行機往復と皆既日食の当日、ホテルから宇宿漁港までの往復バス、5泊分の朝食付き宿泊がツアー行程に含まれただけで、あとは自由行動だった。
 飛行機の出発予定時刻は14:05なので、午前中、名瀬の街を見て回ることにした。昨夜は里心がついたが、朝を迎える<写真1>と逆の気持ちを持っていた。

 朝食後、ホテルフロントで撮影機器やノートパソコン、着替えなどを宅配便で自宅に送った。そのあとホテルをチェックアウトし、9:00ホテルウエストコート前のバス停から大浜海岸方面行きのバスに乗車した。

 バスは名瀬港に沿って街を北上した。バス運転手氏に奄美博物館の最寄りのバス停を尋ね、「長浜」バス停で降りた。9:10奄美博物館<写真2>に到着。奄美博物館は開館したばかりで人の姿は少なかった。島尾敏雄氏に関する展示が一階にあった。島尾敏雄氏は「死の棘」という映画の原作者で戦争体験を描いた作品もある。そのあと階段を上がると、二階と三階では奄美の文化や自然などの展示があった。

<写真2 奄美博物館>

<写真3 長浜町交差点>

<写真4 防潮扉>
 9:42奄美博物館を出て長浜町交差点<写真3>を左折し名瀬港の方へ向かうと防潮扉<写真4>があった。防潮扉は「地震等により名瀬港に津波警報が発令されたとき、台風等により高潮警報が発令され海水の浸入のおそれがあると判断されたときに閉鎖される。」とのことで、扉の高さはさほどではないが、コンクリート製で厚みがあった。

 海上保安庁の船<写真5>が停泊していた。大きな船ではない。埠頭の広場には車が数台停まっていてのんびり過ごされていた。一大イベントのあとでお疲れの方が多い週末なのだろう。空には積雲<写真6>があった。背は高くなく発達する様子の感じられなかった。好天積雲であろう。

 埠頭からバス通りに戻り、「長浜」バス停から名瀬中心街方面へ戻るバスに乗り込んだ。バスは郊外の大浜方面から朝仁トンネルを越えて来たが、バス車内<写真7>には、そこそこの乗客がおられた。

<写真5 海上保安庁いそなみ>

<写真6 積雲>

<写真8 奄美小学校>

<写真7 バス車内>

<写真9 奄美図書館、島尾敏雄の部屋>
 バスは名瀬の中心街を走り抜けた。バス乗客の入れ替わりも多かった。奄美小学校前バス停で下車し、陸橋を渡って奄美図書館に向かった。陸橋からは奄美小学校<写真8>の古びた校舎や今年4月に開館したばかりの奄美図書館が見えた。

 奄美図書館の一階には大勢の人がおられた。日食観測などで訪れた島外らしき人も多いが、雑誌や新聞を読みに来られている地元らしき人も多かった。館内には島尾敏雄氏の部屋<写真9>が復元されていた。同氏の部屋や作品を鑑賞したり、新聞や雑誌を眺めたりして時間を過ごした。

 10:33奄美図書館をあとにした。まだ時間はある。地図を片手に奄美小学校の横を通り、民家のあいだの道<写真10>を抜けた。道は次第に狭くなり、少々高くなった場所からは、町が様子が見えた。道は山に向かって、折り返し<写真11>ていた。

<写真10 民家のあいだの道>

<写真11 折り返し>

<写真12 鉄の鎖>
 山へ向かう道は、鉄の鎖<写真12>が掛けられていた。外に出ておられた民家の方に入ってもいいか尋ねた。チェーンは車やバイクを通さないためのもので歩くにはいいということだった。

 山に入るとハブのことがあるので頭上を覆う木の枝や湿った山道は少し怖かった。道の両側にはいつのものか、落ち葉があった。コンクリートの細道<写真13>をしばらく歩き、一旦車道に出てからさらに歩道を上った。

 10:55展望広場に到着した。木々の隙間、南の方<写真14>を見るとつい先ほど訪れた奄美図書館や奄美小学校が見えた。新川に沿う山あいに建物が並んでいた。北の方<写真15>には名瀬港や名瀬の中心街が見えた。高さも幅も不揃いなビルが見えた。

    展望公園

<写真13 コンクリートの細道>

<写真14 展望広場にて、南の方>

<写真16 階段園路>

<写真15 展望広場にて、北の方>

<写真17 赤いハイビスカス>
 展望広場から真っ直ぐな階段(階段園路)<写真16>が名瀬の街に向かって続いていた。階段園地を降りるとまた別の展望台(行幸広場)があり、そこには赤いハイビスカス<写真17>が咲いていた。

 行幸広場から車道を下ると「横綱朝汐昇進記念碑」があった。このあたりからは、もう海や港は見えにくく名瀬の建造物は目線の高さにありNTT電波塔は高く見えた。かなり下った<写真18>ようだ。

 さらに下ると、おがみ山公園総合案内図があった。大学生?がおられ案内板を見ておられた。やはり日食観測で奄美に来られ帰りの飛行機を待たれていた。彼は山を下ってきた僕に展望台までの所用時間やハブの心配などを尋ねた。是非、登って街を見ることを勧めた。

<写真18 かなり下った>

<写真19 永田橋通り>

<写真20 名瀬測候所>
 小さな川を渡ると鹿児島県大島支庁の門に出た。さらに歩き永田橋通り<写真19>からアーケード街、名瀬測候所<写真20>などを巡った。「あまみはし」から山手の方<写真21>を見ると、スーパーのグリーンストアなど見覚えのある通りがあった。

 奄美空港へのバスは、宿泊したホテルが始発なので、一旦ホテルに戻りロビーで過ごした。12:00空港へのバスに乗り込んだ。バスは名瀬市内をぐるぐる回った。奄美に到着した日は何もわからず終点のホテルまで乗車した。最終日、バスがぐるぐる名瀬市内を巡るのは有難いことだった。13:00バスは奄美空港に到着。近ツリのテーブルで搭乗券を頂き、搭乗待合室へ<写真22>向かった。

 搭乗待合室でお土産を買った。何もなしではやはり悪い気がした。折り返しとなる飛行機の到着は少し遅れていた。案内に従ってしばらく待ち、14:25JALエクスプレス2464便<写真23>に乗り込んだ。

<写真21 「あまみはし」から山手の方>

<写真22 搭乗待合室へ>

<写真24 機内>

<写真23 JALエクスプレス2464便>

<写真25 積乱雲>
 座席は最後尾の通路側だった。窓の外は見えないが、機内<写真24>の様子はよくわかった。非常扉が近くにあり、そこには窓があった。離陸後サインが出てから、何度か座席を離れ、窓の外を撮影した。14:43丸い窓からは積乱雲<写真25>が見えた。雄大だ。

 飛行機の高度はおよそ10000mとのアナウンスがあった。伊丹から奄美への往路は高度8000mであった。天候にも左右されるであろうが、飛行機で東へ向かう場合はジェット気流の影響を受けやすい高高度の方が、西へ向かう場合は影響を受けにくい低高度の方が燃費にいい。15:23眼下には高層雲<写真26>が広がっていた。

 伊丹空港に到着した。受け取る荷物はない。通路を歩くと電光掲示板があり、搭乗したJALエクスプレス2464便の到着は定刻15:40のところ15:50に変更となっていた。うどんの文字<写真27>があった。帰ってきた気がした。空港ターミナルを出て大阪モノレール大阪空港駅<写真28>へ向かった。モノレールは終点の門真市駅まで乗車し、京阪電車に乗り換え帰宅した。

<写真26 高層雲>

<写真27 うどんの文字>

<写真28 大阪モノレール大阪空港駅>

2009年11月18日 記


           
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